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「何も成し遂げてはいない」 求道日記 その1

これから記事をテーマ別にまとめることにします。記事にするほどでもないことや、いたって個人的なことは日記として別に簡単に記したいと思います。


今日は「求道日記」です。修行全般のことで思うところのものをテーマとします。


さて求道です。なぜ人は求道するのでしょう?なぜ私は求道するのでしょう?


一つの答えは真理を知りたい、ということがあるでしょう。


また、一つの答えは救われたい、ということがあるでしょう。


前者はある意味で好奇心であり興味本意なものですが、「知りたい」という欲望、衝動はいたって人間固有の人間らしいものでしょう。


後者は人生苦というものをしみじみと感じると求めざるをえないものとして現れるでしょう。仏教では一切皆苦・一切行苦といいますが、あらゆるものが苦と観じられるともう求めざるをえない。「一切」とまでいかなくても生老病死の人生にしみじみと苦を感じると救いが欲しくなるでしょう。これらもいたって人間らしいものでしょう。


私自身のことを考えてみますと後者の意味合いが強いかもしれません。私には持病があり時に非常に苦しい。体がとても苦しいのに心は元気いっぱいというのもなかなか難しく、どうしても体の苦に引きずられて心も苦になってしまう。


私の修行というのはこうした病苦、心身の苦しみをなんとかしたい、という動機付けが強いです。


せめて体は苦しくても心は元気いっぱいになれる強さが欲しいところです。


また、前者と後者は無関係ではないかもしれません。仏教ではいわゆる苦諦といい苦を問題とします。苦からの開放、苦にまみれた輪廻からの解脱を目的とします。


そのためには智慧をえることが肝心とされます。智慧とは「ありのまま」を知ること、すなわち如実知見です。如実知見を縁として解脱に至るのが仏教の教えです。


このように仏教的にみるならば真理を知ること、智慧をえること、と苦からの救いは密接な関係にあります。前者と後者は必ずしも別々にあるわけではなく、密接な関係にあるといえるのです。


そこで自身のことを省みてみますと、残念ながら、前者の目的も後者の目的も達しえていません。仏教的にいえば前者が達していないから後者にも達していないのもしれません。


まだまだ未熟。私は何も成し遂げていません。だからこそ求めざるをえない、ということです。