ブログ名の変更について

またでございますがブログ名を変更することにしました。


新しいブログ名は「秋月蓮城のプログレッシブ瞑想探求ブログ ~ 宗教性について ~」です。


最初の「秋月蓮城のプログレッシブ精神世界ブログ」では瞑想や宗教性に様々な角度からアプローチし、なにかリアリティの根拠を提示することを試みたいと思っていました。


しかし、困ったことにこのジャンルは、いつでも、どこでも、誰にでも確かである、という普遍的な根拠は示しえない。むしろ、疑問がドンドンと延々とでてくることになります。


信仰というものは本質的に「それが確かかどうかはわからないけれど、それでも信じる」というものであり、修行というものも「それが確かかどうかはわからないけれど、それでも修行する」というものだと思います。


「それでも」というある種の非合理的判断のもとに行われるものであり、合理性による確かさの保証というものは必ずしも必要ではない。むしろ、「それでも求めざるをえない」というある種の宗教的狂気がモティベーションとしてあるわけです。


宗教的な分野では、いつでも、どこでも、誰にでも確かである、という普遍的真理というものは存在しない、もしくは不可知なものかもしれません。


しかし、われわれの目の前には現実というものがあって、現に私たちは生きている。生きていかなきゃいけない。


目の前の、必ずしも自明的ではない、謎に満ちたなんだかよくわからない現実と取っ組み合い、次々と難問奇問を突き付けられ、トラブルに次ぐトラブルに見舞われる苦しみに満ちた人生と闘わなくてはいけない。


宗教的な真理というものは合理的で冷静な、理知的でロゴス的なものだけではなく、むしろ非合理的で情熱的なパトス的なものでもあるのです。冷たい無機的な機械ではなく、生きていて呼吸をし脈動している有機的な生命というか。求道というものはほとばしるパトスなわけです。


私たちは問います。答えを求めます。そして、宗教というものはそれに答えを与えてくれます。それでも納得できない人は更に問います。


私の問題意識として、「私は○○教(○○宗)で救われました!」という人がいるのはたいへん素晴らしいことだと思いますが、では○○教(○○宗)で救われなかった人はどうしたらいいのか?というものがあります。その人はなぜ救われなかったのか?○○教(○○宗)ではその「なぜ?」という問いの答えを用意してあるでしょう。


しかし、救われると謳われて入信した○○教で救われないという現実はとても惨く残酷なものだと思います。結局は救われなかったではないかという失望は深いでしょう。


なぜ?なぜ?と問い続けることになるでしょう。納得できる答えが見つかるまで。


私も「なぜ?」と問い続け、多くの宗教から教えとしての「答え」を学びました。気功やヨーガをはじめ多くの瞑想修行で宗教体験、神秘体験をしました。


しかし、未だそれらの「答え」を心の底から理解して納得し、確信を得ているわけではない。


まだ、なぜ?と問い続けている。なぜ?なぜ?


これからはこの「なぜ?」という問いを大事にしていきたいと思います。「答え」というものをこのブログで断言することはできないでしょう。「なぜ?」という問いに「こういうふうにも考えられるのでは?」という一つの解釈を提示するに留まるでしょう。


インターネットでは、このジャンルにおいて多くの人が発言し、多くの人が断言していますが、その根拠を誰にでも明らかに提示できる人はまずいないはずです。だから、どの発言が正しいか、もしくは間違いか、という判断は読み手の人の理解力と判断力に委ねられているわけです。


このブログで公開する瞑想体験などの情報とその解釈も真偽の判断は読者の方の判断に委ねたいと思います。これが「絶対の真理だ!」と主張するところのものではないというわけです。


情報の開示にあたって私のプライベートな事情も明らかにしておくのがフェアというものでしょう。まず、私には身体に生まれつきの持病があって、そのため医療用の薬を使っています。全くナチュラルという身体ではありません。また、身体の病気の症状が良い時はいたって普通のただの人ですが、症状が悪い時は非常に身体が辛いので、精神的にも落ち込み、抑うつ的になります。これは使用する薬の影響でもあります。この時は精神医学的にみて健常といえないかもしれません。


私の瞑想体験はもしかしたら医薬の作用の影響があるかもしれません。また、必ずしも常に健常な精神状態を保てていないからには、精神医学的には単なる精神病の症状といわれてもそれを否定できないかもしれません。実際のところはわかりませんが全くそうではないとはいえないからには、可能性の要素として考慮しておくべきです。


とはいえ、複数の精神科医の診察や心理検査の結果では、統合失調症躁うつ病人格障害と診断されてはいないので、明らかに精神病の症状だともいえないわけです。


色々と微妙なラインにいますが、そこらへんの判断も読者の方にお任せしたいと思います。


私がいいたいのは、私自身の固有の因子というものがあるので、私の瞑想経験というものが他者にも普遍的にみられるものかどうかはわからない、ということです。


気功やヨーガを修行すると多かれ少なかれ似たような瞑想経験をすると報告されています。私の経験もそれらと似ています。しかし、私は純粋にナチュラルな身体で修行できていないので、何かしらのイレギュラーがあるかもしれません。


瞑想を研究したり、修行していらっしゃる方々はこの点をご理解してブログを読んでいただいた方が、バイアスを考慮するにあたり無難だと思います。